賣茶翁偈語 訳注 大槻幹郎 / 売れ筋 煎茶道 売茶翁偈語

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他にも2000冊ほど出品中= 【 #そるてぃ書店 】 目次= #写真2枚目以降毎度ありがとうございます。古本につき読書用とお考え下さい。この他にも小説、思想書、人文書、エンタメ、SF、ミステリ、古雑誌など出品しております。 #二千二十三零五【内容紹介】 売茶翁ばいさおう(1675―1763)禅僧、煎茶人。俗名柴山元昭といい、肥前蓮池(はすのいけ)(佐賀市)に生まれる。11歳のとき同地の黄檗(おうばく)山万福寺末の龍津寺に入り、化霖に師事した。のち山城宇治の万福寺で修行、龍津寺に戻ったが、享保(1716~36)末年、化霖の死を契機に寺を捨て京都に上った。やがて青製茶法による良質の煎茶を考案した宇治田原の永谷宗円(ながたにそうえん)と会い、その煎茶を売る生活に入り、名を高遊外と改めたが、世に売茶翁と称された。売茶は自活のためだけでなく、それを通じて腐敗した禅僧社会の覚醒を促すことにあり、それを多数の詩にも詠じたが、1755年(宝暦5)9月、老齢のため売茶の生活をやめている。『梅山種茶譜略』を著し、詩は『売茶翁偈語』に収める。[村井康彦]1755年(宝暦5年)、81歳になった売茶翁は、売茶業を廃業、愛用の茶道具も焼却してしまう。この時、「私の死後、世間の俗物の手に渡り辱められたら、お前たちは私を恨むだろう。だから火葬にしてやろう」と禅の窮地に立った擬人化を行い茶道具には和心が生きているという文章を残す。この頃は腰痛に悩まされ、高齢のせいもあり、死期の近づいたことを感じていた模様である。以後は揮毫により生計を立てる。87歳で蓮華王院の南にある幻々庵にて逝去。親交の深かった相国寺第113世 大典顯常によって『売茶翁伝』が書かれ『売茶翁偈語』の巻頭となっている。後世の『近世畸人傳』巻2にも伝がある。親交のあった伊藤若冲が描いた肖像画が残るが、広い額に、やや縮れた白髪を蓄えた、痩せた老人の姿で描かれている。池大雅や与謝蕪村など文人画家たちも彼の姿を描いている。萬福寺には木彫の座像がある。#思想の本 #煎茶道 #そるてぃ書店 #江戸時代 #緑の本棚 #日本史

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